その昔、陶磁器をつくる土を京都へ運ぶとき、その道筋は二手に分かれたと言われている。一方は三条から粟田口のほうへ、そしてもう一方は五条から清水へ。当時は登り窯で焼くのが一般的だったが、この登り窯は、その名のとおり煙が立ちのぼる。 清水のあちこちから立ちのぼる煙が秀吉公の御廟にかかるといけないので、清水にあった窯はすべて東山のふもとに移動させた。今も東山で焼かれる陶磁器が清水焼きなのは、こんなことがあったからなのだとか。